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自分の気持ちを確かめるには、たとえば友人から来た子どもの写真入り年賀状に対して、どういう思いを抱いたかを思い出してください。 うらやましくてたまらなくなり、「私に子どもができないことを知っているくせにイヤミね」と思った、「人の子どもなんて見たくない」などと思うようなら、その心の底には小我があります。
厳しいようですが、自分を飾るアクセサリーとして子どもを見ているから、自分にはなくて人が持っているとうらやましいのです。 そうではなく、純粋にかわいいと思えるのであれば、どの子もわが子と同じように愛せる母性があるということ。
自分に執着しない大我の心があるということです。 「子どもが欲しい」という自分の心が、小我か大我か。
究極の大我は、養子を迎えてわが子と同様に愛する、という道です。 親のいない子ども、事情があって実の親に育ててもらえない子どもはたくさんいます。
そういう子をわが子として引き取って愛情を込めて育てていくこと。 すべての子を愛するという大我の愛があるからこそ、できることです。
「自分と血のつながった子どもが欲しい」「お腹を痛めた子どもでないと愛せない」と思うのは、自分に執着する小我があるからです。 血のつながった子どもでないと育てられない、ということは絶対にありません。

ペットを飼っている人ならわかると思いますが、犬や猫はわが子同然にかわいいものです。 わが子以上にかわいがり、死んだときはペットロス症候群にさえ陥る。
ペットとは血がつながっていないのに、それだけ愛を込められるのです。 ましてや人間の子どもを、血がつながっていないからという理由で愛せない、育てられないなどということは、あるはずがないのです。
また、血がつながっていなくても、たくさんいる子どもの中で、その子を引き取ってきたということは、偶然ではなく必然です。 お腹を痛めていなくても、その子もまた、神様が授けてくださった子どもなのです。
とはいえ、誰もかれもが大我の愛を持って養子を迎えることはできないでしょう。 人それぞれ、たましいが持つ経験と感動には違いがあります。
無理をして養子をとることがいいとはいえません。 ですから、まず「子どもが欲しい」という気持ちをよく見つめて、他人との比較とか世間体とかではなく、本当に子どもに愛を注いで育てたい、子どもと一緒に自分も成長していきたいという気持ちがあるなら、治療しても授かるかどうかわからないけれど、それでもまだ見ぬわが子への愛しい思いがあるなら、治療を受ければいいと思います。

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